54ブログ

ビジネスモデルまにあ

なぜ、今わたしが【アート】に最も注目しているのか?

私の出自は、理系である。

そして、生物学を専攻し、昆虫の生態へ関心を持ち、幼少期からずっと生き物に興味を持て学びを続けて大学の卒論まで書いた。

その頃、20代の私は、科学以外はほぼ無意味であるとさえ思っているほどには、ゴリゴリの科学信奉者だった。

 

それはある側面においては、圧倒的に正しい。

なぜなら、我々人類を進化させてきたのは、間違いなく、テクノロジーだからである。

・火を起こせるようになった

・稲作ができるようになった

・野生動物の家畜化

・車輪の発明

反射炉の開発

蒸気機関の発明

黄金比

・ゼロの概念

・星座の観測と太陽暦

 

人類の過去の科学的な発明は枚挙に遑がない。

それほどまでには、人類は、本当に科学の進化の速度とともに、成長し拡大し、地に増えてきた種族だと思っている。

 

この過程でのモヤモヤはこれを参照されたい。(2019年のブログ記事だ)

54.hatenablog.jp

その上で、今はそれを否定したい。

 

人類の可能性は、科学技術だけに依存するものでも、科学技術だけが正しいものではないと心から思うからだ。

 

まず、科学ということについて論じたい。

 

一般的な辞書的な意味はこうだ。

《science》一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。 また、その成果としての体系的知識。 研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。

科学とは - Weblio辞書

 

科学とは、前提条件として、再現性があることであり、実験室のような同一条件下での同一の反応を体系化してまとめたものである。

つまりは実験者によって、対象者によって、また、場所によって結果が変わることはあってはならないのである。

これはとても重要であり、大切なことなので、何度もいうが、科学とは反復性があり、また、誰がやっても、結果が同じこと、世界のある意味では法則を詳らかにすることなのである。(本当に素晴らしいことだし、これが人類にとってはなくてはない探求であることは一切の疑いの余地はない!)

 

さて、その上で、イノベーションということについても論じたい。

 

図らずも、wikipediaの書き出しにおいて、重要な示唆がある。

以下、引用する。

イノベーションinnovation)とは、物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術発明を指すという意味に誤認されることが多いが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。

ja.wikipedia.org

 

なぜ、イノベーションという言葉は、日本社会において科学分野だけに閉じているのか。

 

それは、日本が元来、科学信仰が強い国だったからではないかと思う。

明治新政府の頃から、日本は海外の科学技術を得て、それを自国で実現できるように、キャッチアップを続けてきた国民性がここ二百年くらいで染み付いている。

本来は、とても多様な国家だと思うし、戦前の煌びやかな日本の姿を写真を通じて見る限り、今なんかよりももっと面白い国だったのかなと思うほどには、日本は素晴らしかったのかなと想いを馳せる。

tabi-labo.com

 

話が逸れてしまったようだw

 

 

さて、つまり、イノベーションとは、科学技術にだけの専売特許ではないのだ。

ここが重要なことなので、もう一度引用すると。

 

イノベーションinnovation)とは、物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術発明を指すという意味に誤認されることが多いが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。

 

この緑色をつけた部分にこそ、本当に重要なことがあると思う。

 

新しいアイデアや視点を提供する人は、とても社会にとって尊いのである。

それはつまり、アーティスト自身のことを言っており、また、アーティストが生み出す芸術作品のそれがまさに、幅広い変革をおこすのだ!

それってすごいことだと思うのだ。

 

科学技術の世界は、本当に一握りの天才だけが、そして、政治がうまく、また、論文をまとめて、上司や周りから気に入られて出世するごく一部の人の特権的なイノベーションだ。

それはそれで本当にすごいことだし、今回のコロナワクチンの開発に見るように、直接的に人類に大きな貢献と意義がある。素晴らしいし、文句は一切ない。

 

でもだ。

本当にそれだけが人類への貢献の仕方なのだろうか。

私はずっと、長い時間そのことに対しての違和感を持ち続けてきた。

自分が昆虫学者の夢を諦めた時から、どこかで自分の人生の意味を探し続けていた。

 

そして、気づいたのだ。

アーティストやアート、芸術の本当の意味は、上記に記載した、

 

新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革 = イノベーション

 

なのだと。

 

これには、我ながら大変に驚いた。

そして、夢と希望が生まれた。

 

皆、生まれながらにしてアーティストであり、個人として何かを生み出していくことができる。人類全てに貢献しうる価値を、一人一人が生み出せるのだ。

そして、生きてきた、生まれてきたことを、後世に残すチャンスがあるのだ。

これこそ、アートの面白さ、アートの可能性の真髄なんだと思った時には、飛び上がるほど嬉しかった。

 

私は、昆虫学者を諦めて、ベンチャーの世界に飛び込み、そして、荒波に揉まれながらも、なんとか生きてきて、そして、その中でも欲として人類を一歩前に進める、進化に貢献したいと本気で思ってきた。

それをなすために生まれてきたのだと信じて疑わなかったが、ただ、科学技術という圧倒的に素晴らしいイノベーションに対しての引け目をずっと感じていた。

でも、その必要はもうないのだ。

科学技術と同様に、アートや個人が生み出すアイデアや視点は、等しく価値があり、人類の進化に資する可能性が十分にあるのだから。

 

はぁ、

ちょっと熱くなりすぎましたね。

 

 

要は、世の中には2種類のイノベーションがある。

 

  • 少数が圧倒的な価値を出すイノベーションである科学技術
  • 残り全ての人がチャレンジできる自らの気づきや経験・体験から見出したアイデアや視点によるイノベーションであるアートやビジネスモデル

 

 

 

この2つ目のイノベーションを、起業家の先輩である熊崎さんは、【意味のイノベーション】と呼ばれた。

これこそ、まさに凡人である私でもチャレンジできる素晴らしい人類への貢献の可能性だ。

 

さぁ、ワクワクしてきたので、今日はもう出かけようと思います、チャオ。