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ビジネスモデルまにあ

2018年12月から2021年11月までの『逆境のビジネス略歴』を語ろう。 ①2018年から嵐前夜

今は、とっても話したいことがたくさんある。

もう2年間も自分の殻に閉じこもっていたからだ。

 

その間は、Netflixがお友達であり、コンテンツ地獄というか、ずっと夜通し見てたような気がする。(マジで全然寝れない、寝れないからw)

一分一秒を惜しんで生きてきた、35年分の“ウサギ”生活が嘘のように、“カメ”どころか、仮死状態な日々だったように思う。

 

さてと、あまりにSNS上の方々から、仄暗い話を聞きたい、人の不幸は蜜の味だということで、私の逆境のビジネス略歴の続きを語っていこうと思う。

 

 

それ以前の、21歳から35歳までの『逆境のビジネス略歴1』は、こちらから。

ちなみに、

さらにさらにその前の、0歳から20歳までの『逆境のビジネス略歴0』は、こちらからw

 

 

なお、この話はすごーく長いのと途中で飽きられると悲しいので、何編かに分けさせてもらって、話を進めていきたいと思う。

 

なお、ここで語る内容の全ては、私が得た情報と私の視点で語られているために、関係者はそれぞれの意見や視点でのコメントがあることだろうと思う。

それはその人たちの言葉で意見をしてもらって一向に構わないし、それはそれぞれが持つ人生のエピソードとして、ぜひとも、個々人が話せば良いと思う。

私の人生の一編を、私は私の自由意志を持って、ここに体験し見てきたことを吐露したいと思う。

 

さて、あの頃は、非常に調子に乗っていたなと、今思い出すだけでも、顔から火が出るほど恥ずかしい(苦笑)

 

 

2018年12月・・・・

 

そもそも、なぜ、私は香港への居住をトライしようとしていたのかについて、語らねばなるまい。

 

 

2013年から、コツコツとエンジェル出資を重ね、投資先のベンチャー企業の方々は着実にIPOに近づいていた。

ある一社は、早くも2018年度中(つまり、2019年3月末まで)に、株式公開を控えているという状態にまで、なっていた。

 

この朗報は、当然ながら私自身を勇気づけもし、また、直近の様々な金銭的な憂鬱(例えば、自分の生活費等のキャッシュフローや欲しい物があれば何でも買えること、など)をすぐに解決しうることが見えていた。

 

有頂天とは言わないまでも、天狗にはなっていたように思う。

昔からのベンチャー業界の仲間たちに対して、横柄な態度をとっていたようにも思うし、実際に何人かからは後日『あの頃のお前はホントに感じ悪かったぞ!?』と言われたりもした。

 

自分でも気付かぬうちに、本当に嫌なやつになってしまっていたなと今は反省しかないが、本当にこの世は我が物と思うような態度で、世界の事柄のすべてがトントン調子に進み、何をやるのも楽しかったし充実していた。

 

最初の問いに答えよう。

私が香港を目指した1番の理由は、『キャピタルフライト』が目的だった。

 

日本国では、株式の取引において、利益の2割が分離課税として国に徴収される。

一方で、シンガポールや香港などの地域では、その利益分の2割を徴収されることはなく、利益を100%自分のものにできるのである。

個人でのお金持ちは、そのために居住地を日本国外に移し、確実の個人の資産を形成するような活動をしている。

それ自体は違法ではなく合法であり、よく国家制度、法律を知っている方であれば、当然に取りうる手段なのである。

 

さらに、日本の特殊事情がそれに重なる。2015年より開始された1億円以上の資産がある人物の海外への居住地の移転は、国外に出るタイミングで40%の課税を課されるのである。

この国家的な法律によるキャピタルフライト封じについては、このフラクタ等の記事が詳しい事情が書いてある。

https://facta.co.jp/article/201508050.html

http://www.kanayamakaikei.com/news-detail.php?id=45

 

さて、私の場合は、本当に少額でのエンジェル投資を重ねてはいたのだが、株価で見ると数百倍の株価になっているケースもザラにあった。それらが上場をしてしまうと、私自身は海外に住んで暮らすという夢は叶えられなくなる。(納税額が重すぎて・・・)

 

そのために、私自身は、投資先が上場をする前に出来るだけ速やかに海外への居住地の変更を進めていたのだ。それは奇しくも、日本のベンチャーの海外進出を支援したいという想いと、人生の師である原丈人氏が世界での活躍の場をサンフランシスコやイギリスから香港に移したという事実も大いに関係していた。

 

2018年の年の瀬は、香港へのビジネス拠点の移動、そして、それに合わせて家族での住居や生活環境の一変を同時進行で進めていた。

 

多拠点生活

 

このキーワードは、ランサーズ時代から、私の周りではよくあるキーワードであった。著名な起業家は当然ながら、フリーランスや自由時代の到来を実現し体現する方々は、みな多拠点生活をしているくらいには、多くの方々の新しいライフスタイルとして、それは憧れのキーワードだった。(今の私は、全くそれに順応できないことが身に染みてわかっているので、もう多拠点生活はしたくないと思っているのだが。。。)

 

東京と香港、どちらも世界を代表する大都市である。

本当に豊かさを体現する街並みと洗練された人々が足早に通り過ぎる眠らない街の摩天楼。

香港と東京、どちらが立派な街かという問い自体がチープなほどに、両方の都市は似ているし、集まる人々も同じような価値観や人生観を持っているように感じていた。

 

そこで、2018年のゴールデンウィーク時期にたまたま遊びに行った長崎県の国境離島の島、壱岐島に行ったことで私の人生においてこの島とのご縁ができることになった。

 

壱岐島についての想いは、ここに語っているので、参照されたい。

54.hatenablog.jp

 

 

結論から言うと、私は、家族との暮らしの拠点を長崎県壱岐島に置くこととした。

そして、仕事場としてのメインを香港、サブとして東京と言う3拠点生活を始めることとして2018年の年末は動き始めていた。

 

事前の準備も滞りなく進み、2018年12月には無事に、プロトスター社の香港事務所がオープンできた。(と言っても、オフィスは友人の会社へ置かせていただく間借りスタイルで固定費を最小限に抑えつつ、私自身の移住を待つばかりと言う状況になった。)

 

色々と準備と段取りが進み、キャピタルフライトに耐えうるためにも、資産(現金)をほぼ現物(新進気鋭の若手アーティストの作品、日本らしい美術品)やベンチャー企業の新規投資をすることで、使っていった。

あまりに熱心になりすぎて、家族にお金を借りてまでアート作品を買う始末で、本当に今思うと暴走していたなと反省しかないのだが。(苦笑)

 

 

そして、2019年の年始、新しい一年が始まり、新しい生活に備えての準備が順調に走り出していた。

 

当時の私のアート熱は、2016年ごろにたまたま、ニューヨークで国連とのお仕事をしにいった際に戻ることとなる。

そこで出会ったアーティスト、梶川さんの生き様と作品に心を奪われたことから、私はアーティストの作品を買うことに執着するようになる。

 

yoshikazoo.com

 

彼は、間違いなく現在生きてるアーティストの中でトップクラスにすごい人だと思うので、是非とも、みなさんも彼の作品をリアルに見てもらいたい。

 

彼の作品も含めて、それまでに集めたアート作品を個人所蔵品の展示会という形でイベントも行い、個人アート展もクラウドファンディングを行って実行したのも、2019年3月のトピックである。

 

www.youtube.com

 

 

54.hatenablog.jp

 

プライベートの話、そして、2018年以前の話、2019年2月の話までがある程度かけたかと思う。

 

ここもっと聞きたいというご意見等があれば、こちらのオンラインサロン【The First Angel Investor】にて直接呼びかけていただければ、対応できるので、ぜひお願いしたいです。

 

liteview.jp

 

 

そして、ここから目まぐるしい逆境の日々がはじまるのである。

嵐の前の静けさ、とはこのことなのだろう。

 

自社主催のイベント炎上、香港民主化運動事変、遠隔ビジネスの破綻、コロナによる世界規模のパンデミック、、、、などなど、誰が事前に予想できたろうか。

 

 

・・・つづく