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ビジネスモデルまにあ

信長と秀吉、家康に見る起業家に向いてる特徴とは?

新年、明けましておめでとうございます!

 

すっかり、2021年に色々が嘘のように、素晴らしい日の出とともに、22年がはじまりました。

世間では、コロナ禍にて、20年ごろから平常運転がすっかりできなくなってすでに2年が経とうとしていますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

さて、今回は、歴史をテーマに、起業家に求められる素質を紐解きつつ、投資家としてはどうそれを見極めて判断しているのかという話をしていきたいと思います。

 

なお、このネタについては、ネタバレ防止のため、結局はオンラインサロンに誘導する記事構成になっておりますので、有料の会員になんて、俺はならない!という強い意志の方は、こちらで離脱された方が良いかと思います(笑)

 

では、本題。

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三偉人

 

タイトルにある、信長とは、言わずもがな、織田信長です。

ja.wikipedia.org

尾張の小国の嫡男ながら、家内での評価は低く、弟に家督をとられそうになる程には、当初は粗暴で一般人には理解されないような存在だったようです。

天才を殺す凡人の話題とおりに、なかなか理解されないものが天才なのです。

 

この内容の補足は以下のブログに譲りたい。

lifeshift-salon.com

www.tsuzukiblog.org

 

 

天才を殺す凡人の話ではないが、当初の信長は、全く身近な者達からは評価されなかった。

独力で弟派を倒し、国内をまとめ、隣国も蹂躙して天下に覇を称えるまでに成る。

 

完全に天才の所業であり、彼の掲げた【日本統一】という旗印はそのまま次の2人に引き継がれる。

 

さて、ココでの信長というのはどういう人物だっただろうか?

特徴や実績を挙げてみよう。

 

・信長は桶狭間以外の戦いにおいて、奇襲等の突飛なリスクのある戦いはせず、兵力を二倍以上用意して相手に勝つという正攻法で勝ち続ける。(勝利が確実な戦略)

・その為に当時としては初めて農民兵では無く、プロの戦人、戦士を雇用して戦いを繰り広げた。そのおかげで1年中戦えた事によって戦線を広げ、秋や春など敵国の農民兵が集まらない時期には優位に戦えた。(既存のルール変更)

・金銭感覚にも優れており、茶道などを編み出し、全く異なる価値を社会にもたらすことで、富の増大と無限化を実現した。一国(領地)が価値の時代に焼き物(茶道具の器)を一国の値打ちがある!と言って授けた話など、天才以外あり得ない。(富の創出)

他にも楽市楽座の実現や大阪の商いを拡げさせたり、あまりに多くて上げ連ねきれない。

ただ、最後にはザ凡人の中でも優秀ではあった明智光秀(従来の神仏を信じ、過去の価値観において信長を嫌悪した)に裏切られて殺されるあたりも、やはり天才は殺されるよなという教訓的な事案である。

 

信長の後を継いで、天下をまとめようと動いたのが次の、豊臣秀吉だ。

ja.wikipedia.org

 

彼は信長亡き後に後継者として信長がやろうとしていたこと、【日本統一】を成した最初の人物である。

彼には諸説あるが、やはり、彼自身は物凄く優秀な人物であったことは間違い無いだろう。

信長の家来の中で、農民であれほど出世した者はいないし、彼を見出して登用した信長は改めて凄いなと。

また、秀吉には異父母の弟、豊臣秀長という人物がいる。

彼こそ、隠れた秀吉の立役者だという説を堺屋太一先生は述べられている。

全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯 (PHP文庫) | 堺屋 太一 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

 

秀吉の良いところ、成したことを挙げてみよう。

 

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