54ブログ

ビジネスモデルまにあ

人の得意・不得意を分類するやり方を閃いた!

私は、経営者もしている。

社員として勤めてくれている仲間もいて、日々楽しいし、嬉しい。

 

そして、私は過去に社員だった時代もある。

また、個人事業主的な働き方もしていた時代もある。

  

その時々に、自分のチカラを高めようと試行錯誤してきたし、

仕事で関わる人たちから多くを学ばせてもらってきた。

その得意・不得意的なビジネスマンのスキルを理解する、

そして、それを活かして教育を施したり、

また、チームを組んだりすることが実はとっても大事なのだと思うのでした。

その為に、今回は、ブログでその閃きの情報をまとめてみました。

f:id:codename54:20190319173617p:plain

 

では、早速、分類する4つチカラのカテゴリをみてみよう。

①【話すチカラ:Speaking】

②【聞くチカラ:Hearing】

③【書くチカラ:Writing】

④【読むチカラ:Reading】

この4つである。

 

また、この4つはそれぞれが対になっている。

①【話すチカラ:Speaking】

    ⇅

②【聞くチカラ:Hearing】

 

③【書くチカラ:Writing】

    ⇅

④【読むチカラ:Reading】

 

それぞれが対になるのは、イメージがわくだろう。

①と③は、出力(アウトプット)行動である。

一方で②と④は、入力(インプット)行動である。

 

さて、誤解のないように言いたいこととしては、

これは“偏り”であってそれぞれは良し悪しの優劣ではなく

ある意味の特徴であって、MECEに分類するのに便利なのである。

 

・【櫻木型】

①+②+③+④の全てがあるタイプ

この4つの力が全て高い人というのはまさにプロフェッショナルである。

こういう人は、本当に素晴らしいし、仕事がしやすい。

当然ながら、全てを満たしているので、結局、誰とでも上手くやれるのだ。

出来るならば、こういう人物を身の回りにいてほしいものだ、

いつもオンライン秘書、アシスタント的に動いてくれる

櫻木君はまさにこのオールラウンダーなタイプで感謝しかない。

 

・【成松型

①+②があるタイプ

このタイプの人こそ、昔(クックパッド勤務時代:20台前半)の私です。

ちょっと昔話となりますが、クックパッドに入社して、

10歳以上も年齢が上の同僚に囲まれていた為、分からないこと、出来ないことは

周りの人生の先輩に聞くとだいたい解決することができました。

非常に恵まれた環境だったなと後で気づくのですが、

主に担当するのは、大手ナショナルクライアントのメーカーで

花形である商品担当ブランドマネージャーやマーケティングに従事される

社内でもトップクラスに素晴らしく優秀な方々でしたので、

私のような若造でもビジネスはとてもスムーズに進む感覚を持ちました。

一般的にいうとビジネスマンタイプとして営業や渉外系の業務を

専門としている方は、まさにこのタイプだと思います。

会話が得意で、相手の要望や期待をしっかりと受けとめることができます。(②)

また、それを自分の言葉で言い換えて、相手方に伝え、

要望のすり合わせを行うことで打ち合わせを通じてクライアントの要望を

自分の中で理解して言葉で表現することができるようになります。(①)

中小企業の経営者や営業出身のトップセールスが得意な会社に多い気がしますが、

このタイプの方は勢いもあるので、営業組織や代理店ビジネスには向いています。

私が、今仕事を一緒にやっている成松さんは、まさにこのタイプの方です。

体育会系出身でもあり、受け応えもハキハキと対応してくださる、

ヒアリングもスピーキングも良い方です、いつもありがとう。

 

 

・【高橋型】

③+④があるタイプ

このタイプの人は、エンジニアに多いように思います。

また、私の思い出話でいうとランサーズに勤務して

鎌倉に住んでいた時代(2012-13年)こそが、

この③+④のスキルを意識的に強化した期間でした。

具体的に何故かというと、ランサーズでは、

提供するサービスや商品が、名刺デザインやロゴ作成、ライティングなどという

非常に小さな規模の仕事が流通していました。

それまでのクックパッドでは数百万円以上の仕事が平均でしたが、

ランサーズでは数万円単位であり、1件ごとの案件や仕事に手をかけていられません。

その為、個別クライアントの割ける時間やリソースは限られています。

それに対しての私がやるべき業務としては、

広報業務であり、情報を幅広くに文字情報で伝える

ライティング能力を高める必要があります。

toCのサービスもそうなのだと思いますが、

文字情報や全体への情報発信・伝達のスキルこそが

非常に重要になるということを身に染みてわかって行く厳しい時間でした。

2012年は一年をかけて本当にゼロベースで、

それまでの自分のスキルを再構築して改めて学び直しをすることとなりました。

具体的にいうと“広報”というそれまで未経験だった業務を習得する為、

広報専門書を五〜七冊を一気に読み、業界の先輩にコンサルをしていただきました。

それまでの人生で後回しにしてきた③と④のスキル、いわゆる、大学までの入学に

必要となるスキルの重要性について、よくよく身に染みて理解することとなりました。

ちなみに、例示として高橋くんという

東京大学卒の素晴らしい文章力があり、またネットでのググり力がある

パートナーメンバーがいます。彼なんかは、まさにこのタイプです。

彼は、ライティング能力があり、情報収集と分析能力が高くとっても優秀です。

ただ、電話での状況確認を依頼をしたりされたり、

定期的な打ち合わせをして物事を進めていくのはちょっぴり苦手な印象があります。

 

 

ちなみに、①だけ、③だけの人がビジネスをするのは、かなり厳しいです。

なぜなら、外部からの入力情報が少ない為に、非常に理解することが難しく、

ビジネスマンとしては・・・成立しないかもしれません。

 

②だけ、④だけの人は・・・他の人へ理解していることを伝える力である、

①と③がないと残念ながら、情報を受け取れないので、、、

テレパシーの技術か、マトリックス的な世界にならないとわからないかもしれません。

 

あまりに長文になったので、一旦、ここまで。

これをどういう風に活用するかは、また、別途ブログにまとめようと思います。

 

では、また。

 

追記:

これ、昔噺の『桃太郎』のイヌ・サル・キジの3種の部下について、

同じように表現できるなと。櫻木型は、イヌ型でオールマイティ。

松型は、サル型で営業タイプ、高橋型は、キジ型で管理タイプでしょう。

 

 

初体験:アートコレクション展を開催してみて思うこと

f:id:codename54:20190319145242p:plain

2019年3月14,15,16日の3日間。

 

【私による、私のための、私的なアート展】が

無事にとっても素敵な形で終わりました。

3日間のうちにお越し下さった皆様、ありがとうございました。

 

今回のイベントは一言で言うと

 

 

 

・・・最高でした!!  

本当に良いですね、好きな物に囲まれる空間は。

 

たぶん、都内から離れた後に別の地でもこの様な空間を創りたいと思いますし、

また、コレクションをご紹介する機会を持ちたいと思います。

 

 

本日17日から東京を離れて、

13年程に渡って暮らした東京生活を終えます。

これからは時々都内、基本都外で暮らします。

本当にありがとうございました!

また、皆さまに逢える日を楽しみに。

 

そして、さらに素晴らしいことに

今回のオープンセッションが、色褪せない想い出の映像になりました。

 

 

今回のクラファンで応援してくれた皆様、

motion-gallery.net

オープンセッションにお越し下さった皆様、
登壇くださった池内さん、小松さん、梶川さん、

201903-gal.peatix.com


そして、素敵な映像に纏めてくださった堀井さん、

本当にありがとうございました!

 

 

 

www.youtube.com

 

今回関わってくれた皆さんのお名前を御礼までに、ご紹介をさせていただきます。

 

Artist:

Aiko Morimoto

Arisa Oguro

Bairei Kono

Hiroko Joshin

Hokuto Tamamura

Haruka

Haruo Mitsuta

Iki Kinjo

Rieko Kawabata

Seite Watanabe

Tomo Ando

Makoto Aida

Masao Gima

Mrs.Yuki

Yoshikazu Kajikawa

Yasuka Kojima

Yuko Kohayakawa

 

Sponsor

Hirokazu Taniguchi

Junichi Sugihara

Katsuo Sugimoto

Katsuya Hirose

Kazuhiro Kimura

Keisuke Uchida

Masami Goto

Nami Nakayama

Tetsuo Yamanaka

Toru Miyazaki

Yoichi Imamura

Yuito & Minami

Yuji Tsuchiya

Yuki Suzuki

Yusuke Sakai

 

Guest:

Junya Komatsu

Tsutomu Ikeuchi

Yoshikazu Kajikawa

 

Staff:

Ikuma Horii

Masaya Inoue

Mayumi Chiba

Yuji Tsuchiya

Ryota Sakuragi

 

1st Art Collection  by Goushi Yamaguchi

 

次回も、お楽しみに^^

『泣いて馬謖を斬る』を実体験した話

人生、生きていれば、色んなことが起きます。

 

そして、今月初旬も、ま・さ・に・・・そういう日々でした。

共同代表をやっている、ある法人でその事象が起きました。

 

それは【同格の代表が退任】という一大事。

私としても、初めての経験であり、

非常に重い決断と対応をすることとなりました。

 

そもそもが私以外の2人がやっている法人に

私が後からやってきて3代表制にした会社(と言っても、まだ1年半ほどですが)で、

直近でも色んな面白い取組ができて盛り上がっている状況でした。

 

新しいスタッフも増え、また、取り組める案件の規模も増し、

まさにこれから、という矢先の出来事でした。

 

しかし人間の社会、既に前例というか、そういう事はあったようで

神様は、ちゃんと、水前寺清子さんにいい言葉を伝えてましたね、ええ。

『3歩進んで、2歩下がる』

  

我々は気づかない間に、3歩進んでいたようです。

今回の事態は、2歩後退なのかどうなのか、

結果として物凄い後ずさる事になりました。

 

なにせ、共同代表の退任ですから。。。

 

『泣いて馬謖を切る』という故事成語の意味を

今日ほど染み入って感じることは過去に無かったように思います。

 

ただ、今回の事態の初段は完全に我々側に落ち度があり、

また、本来であれば、ちゃんとご迷惑をおかけした

先方へ伺っての謝罪というのが筋だと思ったのですが、

そういう形すらも対応のお断りから出来ず、

結果として数日が経ってしまったことが悔やまれます。

 

言い訳としては本件に関して関係者があまりに多く、

我々が直接に繋がっている関係者先のみであれば良いのですが、

間接的な依頼先やすぐに連絡がなかなかご多忙な方も多いため、

正式な発表までの時間がかかってしまったことは、我々のチカラ不足な為です。

そもそもが予定を事前に押さえてもらっていたことが

こちら都合でキャンセルになるというのを関係者に連絡する前に

自らで勝手に発表するわけにはいかなかったという大人の事情です。

 

 

改めてになりますが、今回の一連の事態は、

それもこれも、初動として彼の自身の‘身から出た錆’であり、

全ての責任は彼であり、彼と同じ船に乗るチームである我々にあることは自明です。

それだからこそ、非常に辛く、悲しく、悔やまれるのです。

何故、私から彼に大事なことを教えられなかったのか、伝えられなかったのか、と。

単純に私自身が未熟である査証ではあるなと思うのでした。 

 

会社は、【『ヒト』と『仕組み』の2つ】で出来ています。

 

この会社で目指そうとしている、

【それぞれが独立している状態で自立・分散・協調する】というのが

我々の会社としてのスタイルでした。

 

だからこその本件のような事象になったのですが、

一方で、その【自由な個人意志で動ける】という仕組み自体は変えたくないな、と。

個人のスキルや自主性を認める組織が世界に1社くらいあっても良いじゃないか、と。

 

そういうメッセージを実際に行動で示すこと。

 

今回は、自由と責任のバランスがあり、

自由に自己責任で進めてしていた分、個人としての責任は重く、

それ故、大きな決断をして、自らが身を清める他にないだろう、と。

 

今回の決断に対しては、各方面からのご意見に対して

私自身も非常に身につまされることが多くありました。

 

こういう形にはなりましたが、まだまだ、私自身が齢35歳になっても、

苦言・諫言にて私達を叱咤激励くださる方々にこそ感謝をして行動で示したいと思います。

 

最後まで勝手な自己都合の良い話にはなりますが

【罪を憎んで人を憎まず】 とも人の世では言われておりますので、

彼のこれからの活動を見守っていただければ個人的にはとても嬉しいです。

 

この事自体は、後世に【逆境のビジネス略歴】の続きの

序文になるかもしれないエピソードになることでしょう・・・。 

(本件に関しての各社の対応やそれぞれの担当者の発言を含め、

事の顛末は、ちゃんと忘れず、語り続ける事こそが私の生きる役目。)

  

上記事象に合わせて読みたい記事:

日本のVCの投資額が米国の50分の1なワケ | プレジデントオンライン

「日本は既存勢力に甘く、挑戦者に厳しい」小泉進次郎さんの発言が話題に | チャンネル「てみた」

忖度(ソンタク)とは - コトバンク

 

 

 

 

 

さて、余談と追記として・・・

私事となりますが、今まで大変お世話になった東京という街を離れる事にしました。

 

いつでも気軽に皆さんに会えない非常に残念ですし心苦しいのですが、

その後も毎月1週間程度は都内に滞在する予定ですし、また、その時にでも

お茶とか餃子とか・・・いわゆる飲茶とかに一緒に行って頂けると嬉しいです。

28年ぶりに、父から届いた手紙に号泣した話

3年前のある日に、突然のfacebookのメッセージが届いた。

 

送り主は全く知らない方で、メッセージの内容に目を疑った。

そこには、父親の話が書かれていたからだ。

そして、送り主の方からは、

恩師だった山口茂嘉先生の息子さんの、『ごうちゃん』ですよね?と。

そして送ってくださったファイルにあったのは、

1988年頃に父が寄稿した幼児教育の業界誌でのコラムだった。

 

その原稿で、生前の父親の口調が思い出される文体と、

文章の中で表現された自分の幼少期の逸話がとても鮮明で、

ただただ、嬉しい気持ちと、この送ってくださった教え子の方の

父親への敬意を感じて改めて父親の偉業を感じるのだった。

 

今の自分の日々の色々な活動も、きっとどこかで誰かは見ていて、

私のいなくなった後の世界で、子供達に私の生前の活動を伝えてくれると心底嬉しい。

 

そう言う生き様でこそ、生きていた証を残したいと思う。

 

では、是非とも、ご一読くださいませ。

今から30年以上前の活き活きとした父親と私の話を。

 

 

f:id:codename54:20190218010455j:plain

f:id:codename54:20190218012117j:plain

f:id:codename54:20190218012132j:plain

f:id:codename54:20190218012145j:plain

f:id:codename54:20190218012156j:plain

いかがでしたでしょうか?

 

内村鑑三氏の著書『後世への最大遺物』ではないですが、

人としての生き様こそがやはり残るべくして残るものだなと思うのでした。

 

さぁて、今日も頑張ろう!

 

『Art is long , life is short.』だからこそ、必死に今も行動してる

高校生時代から、何故だか、この言葉がすごく好きだった。

 

『Art is long , life is short.』

 

直接の字ズラがカッコ良かったのかもしれないし、

意味も、中国の古語である【少年老い易く学成り難し】というのも、

なんだか、学生時代の自分を鼓舞するようで好きなのだった。

 

そんな青い春から、時間がだいぶ経った。

つい数日前に35歳になったのだ。

 

ちょっと前のブログの内容の続きでもある。

54.hatenablog.jp

 

別にアラフォーとか言われる歳でも、何も変わってない。

おそらく高校生くらいのメンタリティとか、アホな感じとか、

ヤンチャでイケイケどんどんって思っているところとか、別に変化ない。

ちょっと、体型的には、その頃から比べると20kgは増えているから、

立派な成人男子感はあるけど。(苦笑)

 

さて、改めて、

『Art is long , life is short.』

この言葉だ。

 

私には物心がついた頃(多分、3歳とか?)から夢があった。

それは、昆虫博士になる!というものだ。

 

愛読書が昆虫図鑑であり、

趣味が昆虫採集であり、

ほぼ全ての時間を虫いじりに使っていた。

それがとても幸せで満ち足りていた。

その気持ちのまま、21歳になるまで、なんだか時間だけ経った。

 

そして、父が死んだ。

 

それからは、激流みたいに、あっという間に時間が過ぎた。

日々巻き起こる過酷な現実と向き合って、

自分の力を最大限に発揮して今まで生き抜いてきた。文字通り、生き抜いて。

一昨日発売された自叙伝にも書いたけど、元来は何でもない、只の小僧だった。

 

21歳の私は最初に行ったことは、過去の自分の全ての否定だった。

それまでは、自然科学(サイエンス)というお金にならないこと、

短期的には意味も価値も見出せないものに夢中になっていた。

夢中になれたし、それを受け入れてくれる環境だったし、とても恵まれていた。

 

それが一変して、父親がいない世界が急に訪れて、

金銭的にも、精神的にも、追い込まれていった。

いろんなそれまでの現実の方がフェイクだって気づいた。

親に、周りの人たちに、とても大事に守られていたのだ、と。

 

とにかく、金になることを、誰もが分かり易い数字を追いかけて、

実績をつくることだけが私の全てになった。22歳、休学をして、

同級生に遅れて卒業をするなんてそれまでの自分では有り得ないダサいことだった。

でも、目的があるから出来た。

俺は、若くして頭角を現す、絶対に成功してやる、と。

しかも、ここで言う成功とは、

金銭的な、分かり易く余裕がある状態に絶対になると言うこと。

それからは、アートやサイエンスは全否定した。

一切の無駄を排除して、とにかく、仕事と数字に向き合った。

目に見えない世界やマインドに蓋をして、それまでの正義なんてのはゴミ箱に捨てた。

とにかく、大人の世界、ビジネスの世界で成果を出す、只一点そのことだけのために。

 

だから、前々職も、前職も、結果にだけ拘って、時間も労力も惜しまずに、働いた。

死に物狂いだった、それが生きる全てだった。

 

そして、結婚をし、子供が生まれ、普通に大人になっていた。

改めて、無駄なものとして、蓋して来たもの達と自ずと向き合うことが増えていた。

それはずっとずっと欲していたものだったし、無意識下で耐えて我慢していた。

 

私の中での長年の蓋が取れる時期に来ていると思った。

33歳まで、とにかく、成果と結果を求めて猪突猛進に一人で突っ走ってきた。

一昨年から、チームになって仕事を改めてするようになって、より可能性が広がった。

 

今も、仕事は大好きだし、数字や短期的な成果は大好物ではある。

 

でも、それだけじゃないこと、もっと長期的な価値ある産物や、

数字という定量的なものではなく、

感覚や感性、美しさのような定性的なものが

人生にはとても大切なんだと気づかされた。

 

たまたま友人の紹介で知った古美術の世界は、

数百年以上も前の銘品や歴史書で読んだ偉人の書が豊富に残っていることを知った。

また、驚くほど手軽に、それらの品は商われており、

ちょっと背伸びすれば、買えるような価格なのである。心底、驚いた。

渡辺省亭という、日本が初めて出店したパリ万博の際に渡欧して3年間の遊学をし、

西洋の美術界にも影響を与えた偉人の掛け軸が、軽自動車よりも安く買えるのだ。

100年以上の、素晴らしい作品なのに・・・(汗)

 

また、現代美術の銘品も数多い。

本当に神の手と思えるような、素晴らしい作品を20,30代で創っている。

本当にすごい人たちが同世代や若手にもいるのにも驚かされた。

アートというものの奥深さと、そこに圧倒的な情熱をかける作り手がいることに

ある種の憧れと羨ましさと、心のそこからの敬意が込み上げた。

彼らのような営みが人生には必要だと思ったし、それこそが潤いだと感じた。

特に、昆虫好きの私には、とんでもない程に彼は魅力的だった。

満田晴穂さんは、年齢も私より少し上なだけで、まだまだ若手の芸術家だ。

 

とにかくすごいので、騙されたと思って、彼のすごい作品をとくとご覧あれ!

実物品はこんなネットで見るのには、比べ物にならない!マジヤバイ!(汗)

m-haruo.com

 

そして、まだ、20代だか、30歳になったばかりかという、

森本愛子さんの日本画は古典的なのに新しい構図で

正倉院にあっても良いのに、家の壁にかかっててもカッコいい。

なんとも不思議な優雅さがあり、ハマるのだ。特に昆虫がカッコいい。

www.google.com

 

そして、何と言っても、私をアート蒐集家にするきっかけをくれた作家は、

梶川能一さん、その人なのだ。

 

彼の絵は、画像じゃ全然面白みが伝わらない。

実物にこれほどまでに迫力と勢い、ある意味の所有欲求を刺激するものも珍しい。

とても画力があるというか、そのまま存在感がすごいのだ。

是非とも、実物を見て欲しいし、彼の人柄も含めて感じて欲しい。

サイコーなのだ。

www.google.com

 

だから、長くなったのだけど、私はアートとサイエンスの世界に戻ります。

日々をより暖かく、充実した血の通ったものにすべく、

もっと定性的な表現で曖昧模糊としてて、でも、心地好い世界へ。

そういうものが結局は自分が好きなのだなと思ったので。

 

私の恐らくは、ウン・・・万円分で、きっと未来は凄い価値になるだろう、

愛情あふれるコレクションたちを一堂に集めたコレクション会を都内でやりたい。

そして、できれば、そういう機会を皆さんと分かち合いたと思いました。

 

だから、このようなクラウドファンディングをはじめました。

motion-gallery.net

 

今まで通り、身勝手なのですが、どういう皆さんからの反応があるのかを

素直に受け止めてみたいと思いまして、問いかけをしてみたいなと。

 

これが、達成されるものなのか否か。

さて、どうなるのか、答えは、39日後に・・・お楽しみに。

 

さあ、さすがに、もう寝ようw

『アートとサイエンスは、役に立たないモノだ!』は本当か?

明けましたね、あっという間に、今日はもう3日という。

早いですね、時間が過ぎるのは。

 

おせちや雑煮を食べて、温泉に入って、昼寝して、

新しくDLしたKOEIの“信長の野望 大志編”のゲームをして・・・の

無限ループな正月三ヶ日を過ごして、ダレていますが、

そういう息抜きは相当に伸び伸びできて良いですね、心底ホッとします。

 

 

さて、タイトルの【アート】や【サイエンス】をテーマとして

様々な思考を巡らせてきた、この13年でした。

子供の頃から、昆虫博士になりたかった私は、

まさに【サイエンス】の分野で生きていきたいと思っていました。

大学教授だった父親の影響もあり、子供の頃から何の疑いもなく、

研究者として一生涯を過ごす、とある種の妄信的に信じていたのでした。

その夢が覚めるのは、大学4年生2005年4月(21歳の時)、

まさに大学院入試の直前1ヶ月前に、父が亡くなったことからでした。

 

父の死は、私に3つの意味を教えてくれました。

  • ①今の日本では、研究者として生きる道は狭く、険しく、厳しい
  • ②お金にならない研究は、やるべきことではない
  • ③人はいつか確実に死ぬ(人生は有限であり、やりたいことをやるべき)

 

①今の日本では、研究者として生きる道は狭く、険しく、厳しい

日本の研究論文の比率は年々少なくなっている、

そして、様々な研究予算も、国家予算ではなく、民間予算が賄っている、という。

国立大学は、東大・京大などの一部を残して、後の各県ごとの国立大学は、

独立行政法人化されて大学教授などの職は、国家公務員ではなくなりました。

また、様々な基礎研究を行う為の資金と人員は、年々厳しくなっているのです。

今まで以上に大学教員になるのは、より厳しい状況になっているようです。

より詳しくは、こちらのブログに良くまとまった図説があるので、ご参考までに。

日本の科学技術関連予算は減っていないけど、現場は何故大変なのか?

文科省のご意見:

国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!:文部科学省

 

②お金にならない研究は、やるべきことではない

私の父は、発達心理学という子供の精神的な成長を研究していました。

『三つ子の魂、百まで』という古語にあるようなことを科学しようとしていました。

私は、昆虫生態学、また、分類学という、ある種の古典的な研究をしていました。

父の研究と同様に、金銭的な理由づけが難しく、非常に好奇心を満たしてくれる、

一方で研究資金を得難いという共通点がある分野でした。

 

逆に、お金になりやすい研究とは何か?

それは、犯罪心理学やカウンセリング、生化学のような所謂、

医療行為に近いものはお金になりやすいでしょう。

また、昆虫研究においては、バイオミメティクスのような

直ぐに生活に活かせるような応用生物分野はお金になりやすいでしょう。

www.amazon.co.jp

基礎科学の分野、好奇心旺盛な研究者の自由な研究というのは、

ますますやりにくくなっているのではないかと思います。

 

③人はいつか確実に死ぬ

何当たり前のこと言ってんだ?!と思われますが、

今の日本では、人の死があまり触れないもの、見ないものになっているかと思います。

親族の死や友人知人の死くらいしか、死を実感する機会はないでしょう。

道端に死体が転がっていちゃうような諸外国(東南アジアや南米など)とは違い、

日本ではとても良い環境だと思うのですが、死が非現実的なことに感じます。

父親の突然の死は、ある意味では、青天の霹靂だったのですが、

柔道をやっており、170cm以上で体重もかなりあった大柄の父親は

まず死なないだろうという存在で、いつまでも生きてると思っていました。

それが呆気なく、突然亡くなったのですから、ショックでした。

 

さて、タイトルの言葉は、アップル社の創業者、

スティーブ・ジョブスの言葉だそうで、この言葉には続きがあります。

“アートとサイエンスに対して、

その対照的な概念に、

デザインとテクノロジーがある。

アートとサイエンスは、『役に立たないモノ』だ。

一方で、

デザインとテクノロジーは、『役に立つモノ』だ。”

 

と、まあ、彼が本当にそのように言ったのかどうかは分かりませんが、

このコメントがある種のニュアンスを含んでいるでしょう。

本文引用:

アップルはアートとサイエンスをミックスして製品を作り上げているが、ライバル会社はまだそのことを理解していないと、ジョブズは2000年に語っている。「iMacを見ると、デザインが本当に素晴らしいと人々は思うでしょうが、それは単なる表面上ことでしかないのです」と述べている。

 

wired.jp

 

このような簡易的な図解で示して見ると・・・

f:id:codename54:20190103173944p:plain

 

父の死後から、ある意味ではアートとサイエンスの分野から距離をおいて、

社会人として、ビジネスにおいて、役に立つもの=お金になるモノのみを

追求してきました。それが唯一、正しいことだと自分に言い聞かせて。

 

ただ、ある程度、ビジネスのイロハが分かるようになり、また、

社会人として、大人の世界に慣れてきた今日この頃になって、

漸く、この意味が実感を伴って理解ができるようになってきました。

 

『道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である』

二宮尊徳翁の言葉

 

言いたいことがニュアンスは伝わったかな?と思うので、

そろそろ、尻切れとんぼ的にこの文章を終えようと思っております。

 

そして、そのアートやサイエンスがこれから更に栄えて欲しいという気持ちから、

明日から、ちょっとした実験を行いたいと思っています。

詳細は、また、後日追記します。

 

お楽しみに、では、そろそろ、晩御飯を食べてきます。

最後の平成2019年、最初の所信表明

 

旧年は、大変お世話になりました。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、早速2019年の今年一年のテーマを一文字で表すと、『承』です。

 

音読みで、『ショウ』

訓読みで、『うけたまわる』

意味は、

・うける。うけつぐ。

・うけたまわる。ひきうける。

 

では、どういう意図でこの文字を選んだのか、説明をさせていただきます。

 

『承』は、起承転結の二文字目ですね。

昨年までは、プロトスターというチームでの活動をはじめた一年でした。

まさに『起』業の起という言葉に現れるような、

スタートアップ支援の事業を本格的に始めた一年でした。

それまで2016年頃までの活動は、個人に毛が生えたような規模で、

頭の中にあるイメージを行動に移すことなく、あくまで妄想という状況でした。

それを2017-18年の間に、だいぶカタチにして来れたように思います。

(とはいえ、まだまだ、初動ですので、もっとこれから大きなウネリを創りますが)

 

独立してからの2015年、徐々に今までの『点(テン)』だった展開が拡がっていって、

その点が繋がって、『線(セン)』になってきました。

ある程度、活動の方向性が見えてきたので、

この動画の3人目の仲間がジョインした状態かなという。

動画:TED 社会活動はどうやって起こすか

www.ted.com

 

 

f:id:codename54:20190101121522j:plain

2018年秋のプロトスター社 社員写真

(※既にこの写真から複数メンバーが増えて、入れ替わりもありましたがご愛嬌)

 

これまでの活動の前段を“うけて”(承継)、

いよいよこれからは3つの活動に注力していきます。

  • ①香港を皮切りに、世界展開へ

  • ②離島移住による、田舎と都会の複数拠点生活開始

  • ③今生きてるヒトの為に、人の世を。(新しい事業創造)

(※エンジェル投資は、ライフワークの為、継続的に実施します。)

 

①香港を皮切りに、世界展開へ

今まで私自身がビジネスを通じてやりたかったことは、“外貨を稼ぐ事”でした。

ただ、クックパッドもランサーズも、結局その想いを果たす前にタイムアップになってしまいました。

だからこそ、プロトスターとして、チームで外貨を稼ぐという初心の事業を

是非ともやりたいという想いを、いよいよ挑戦するタイミングが来た事を嬉しく思っています。

スタートアップというある種のヨチヨチ歩きの企業が、

いきなり海外で事業を・・・というのは非常にハードルが高いでしょう。

今までの普通であれば。

なにせ、スタートアップが海外展開する為に

必要な【ヒト/モノ/カネ/情報】のどれも、無いから。

 

だからこそ、我々は日本のスタートアップ向けに対して以下を開始します。

【ヒト=開発人員、現地スタッフの提供】

【モノ=人的ネットワークの拡充による各種アライアンス強化】

【カネ=投資家情報の網羅とWEBサービス“StartupList”の拡充】

【情報=香港発のアジア中心のスタートアップメディアJumpStartの日本語版の展開開始】

 

これによって、今まで挑戦したくても、ハードルが高かった

海外展開を日本のスタートアップにも提供できるようにしていきます。

何と言っても私自身が、香港へ住まいを移して、

人的ネットワークを拡げることにコミットしますから。

 

 

②離島移住による、田舎と都会の複数拠点生活開始

去年5月に初めて訪れた某離島にすっかり魅了されてしまい、

是非とも、長くこの島に居を構えたいと思いました。

島の良さは、人間関係の密度の濃さです。これは都会と真逆でしょう。

マンションの隣に誰が住んでいるのかも知らない、

当然ながら道ですれ違っても挨拶もしないというのが当たり前の都会。

その環境での子育てを伴う家庭生活は当初からあまり納得がいっていませんでした。

ただ、仕事が多種多様で、面白い人物が多くて出会いが沢山ある

という都内の良さにこの10数年間は安住してきていました。

 

ただ、家族での生活、特に子供達の成長を考えると、

このままでは良くないんじゃないだろうかと思う気持ちがありました。

その気持ちに対して離島での暮らしで、解をみつけてみようと思っています。

実施にはじめてみたらどうなるのか、今は全く分かりませんが、

きっとそれはそれで様々なメリデメはあるでしょうから

実施に体験してみなければ分からないのでまずやろうと思います。

 

 

③今生きてるヒトの為に、人の世を。(新しい事業創造)

既存の投資先や社外取締役の関与先を含め、30社以上の会社の経営に関わっています。

各社ともスタートアップとして大きな展開を希望していたり、

ベンチャー企業として国内にとどまらず世界への展開も考えているような会社です。

ただ、今年から始めようと思っている新しい事業は、

特定の地域社会のローカルな課題や期待に応えるモノをつくってみようと思っています。

 

衣食住医という暮らしのインフラの4つを丁寧に組み立てていくと、

その地域ならではの事業が創れるのではないかと考えています。

特に、電気・ガス・水道などのベースのインフラに次ぐような

交通・物流・教育・不動産関係の基礎産業をやってみたいと思っています。

まだまだイメージ段階で構想段階なのですが、こういうのを妄想するのは

とっても楽しい時間なので、隙間時間にメモ書きを走らせるのは良いです(笑)

 

 

さて、そんなやりたい事盛りだくさんの2019年も、

皆さんとともに色々なシーンでご一緒できれば幸いです。

 

そろそろお昼ご飯なので、

お雑煮第二弾を食べつつ、初詣でも行ってこようかと思います。

 

それでは、

皆さんにとっても、2019年が最高の一年になりますように。

 

チャオ!

f:id:codename54:20190101121653j:plain

HONG-KONGへ