54ブログ

ビジネスモデルまにあ

人生の目的と目標 〜これから私は何を成すのか?〜

東京が初雪?で、地面が真っ白に染まり、外出したくない今日は、家にこもっています(笑)

 

寒いですね〜、東京は。沖縄があったかかったなぁ・・・。

早く島に戻りたいw

 

今日は、人生について語りたいと思います。

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人生

 

38年生きてきて、さまざまな感情を実体験してきました。

 

地球最古の大地に生きる生物や植物たち。

ロライマ山は、私の人生観を変える力があった。(37P参照)

 
結婚と子供の誕生も、圧倒的に私の価値観を変えた。

www.youtube.com

 

二人の娘の誕生は、本当に素晴らしくて、自分の命よりも優先するものがあるなんてのは、言葉ではなく実感することができたことは本当に素晴らしい経験だった。

 

そして、父の死も大きなインパクトがあったし、父の死の教えは私が今のようなビジネスの世界で活動するきっかけになった。

奇しくも、そういうことを彼は言い残してもいる。

tanba.jp

以下、引用:

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「大学に合格したとき、 うれしいけど離れていくのが寂しいとささやいた母親の言葉が耳に焼き付く。 依存があって初めて親子の自立が生まれる」 と経験から語る。 「頼み上手、 任せ上手、 認め上手の親に」 と自論も。
 「兄弟は一番身近なライバル。 私の場合、 兄は物理の道へ進みましたが、 兄には勝てないと思い、 私は心理学を専攻、 弟は生物を学びました。 住み分けですかね」 と苦笑。  少子化によって、 家庭で兄弟姉妹が切磋琢磨して生きる知恵を育む機会が乏しくなるなか、 地域の役割が重要視される。 自宅のある岡山では、 親子クラブと子育てを終えた女性で作る愛育委員会が協力し子育てを担う。 この活動を相談活動などでサポートする。
 自然を愛したロマンチストで、 自宅に農事研究所を開いていた父武男さん。 地域の人たちが良く出入りし、 自身も子ども時代に大勢の人と交わった。 「学校から帰ると、 父の書斎に行くのが楽しみだった」。 中学二年のとき、 頑強だった祖父が突然亡くなり、 大きなショックを受けた。 この事件が今の道に進むきっかけになった。
 「死は最後の教育といわれる。 死を受け入れることが一生懸命に生きる基本。 病院で生まれ、 病院で亡くなるという現在は、 人生の最初と最後の場面がカバーされている」と話し、 「3歳、 9歳、 14歳から17歳の3段階で子どもの心理が変化する。 私も高校時代に生きるという意味を見出すのに悩み、 父の書斎で吉川英治の 『親鸞』 などをむさぼり読んだ。 丹波でのくらしが今の私の原点」と結んだ。

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 21歳の時の親父の自死は、私に強烈なメッセージとして、心に深く刻まれた。

 

親父は、小泉政権下でのさまざまな民営化の流れの中で、国立大学の民営化に伴う、ビジネスをして経営的な役割を期待されて、それがうまく行かず、また、40年の研究者生活の締めくくりを前に、早々に人生の店じまいをしてしまった。

彼の生きた道を、研究者としての生き様は、国立国会図書館に多くの書籍として残っており、それは私の誇りである。

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

 

そして、父は私に命を持って、経済の大切さを伝えてくれた。 

経済(ビジネスを行うこと)とは、元来、経世済民ということである。

ja.wikipedia.org

「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」の意。

つまり、世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと、だ。

 

父の死を経て、私は圧倒的に死を意識して生きる生き物へと進化した。

メメント・モリである。

もはや、生は死であり、死もまた生であるとさえ認識している。

(これはつまり、生きている間は常に死ぬことを意識していて、例え死んだとしても、その生き様は存在し続ける(=生き続ける)ということである。=生き様は残っていくから。)

 

ここからは、かなり大きなことをいうので、一旦、オンラインサロンに振りたいw

 

liteview.jp

 

では、チャオ!