自己紹介 Who am I ? - Yamaguchi Goshi
すごく久しぶりに、このインタビュー記事を読んで、色々と蘇ってきました。
このインタビューにハキハキと答えている裏で、実は、とんでもないことになっていた(大笑、汗)
そして、『逆境のビジネス略歴』という、過去の私の生きてきた時間の全てを開示するプロジェクトを実行したこと、そして、それをまとめた三十五歳からの約三年間について。
広報をやったり、イベントに登壇したりと、かなり多く社会での露出シーンがあるため、時系列で並べるとそれはそれでなかなかに見応えがある(笑)
自己紹介が最近雑になってきており、もはや、全てを網羅するのは不可能だと思うので、ここで改めて、私の自己紹介的な情報を過去から今まででまとめておきたいと思う。
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山口豪志
株式会社54 代表取締役社長
茨城大学理学部卒
・第一期(2006~2014年) 会社員時代
06年4月人材会社のインターンにて業界問わず幅広い企業へ営業
同年7月当時無名のクックパッド(株)へ9人目のメンバーとして参加
12年3月ランサーズ(株)に3人目の社員として参加
ビジネス開発部 部長、社長室広報チームリーダーを歴任
・第二期(2015~2019年) 独立(ベンチャー支援者へ転向)
14年11月独立。15年5月(株)54を創業。また、個人投資家として
13年から順次ベンチャー出資を開始。累計36社のベンチャー企業へエンジェル投資。
書籍執筆、講演活動などを全国50箇所で実施し、1300人以上動員。
17年7月よりプロトスター(株)に参画し共同代表に就任。(2019年8月末退職)
18年12月より香港事務所を開設し、海外進出も開始する。(2019年12月閉鎖)
19年5月よりIY Holdings(株)を創業。
・第三期(2020年~現在) リスタート
20年3月から都内に帰還。コロナ禍の中でベンチャー支援活動の再開。
20年5月(株)リーバーの営業・広報管掌取締役に就任。(社外取締役から転向)
21年6月(株)チェンジザワールドの顧問就任。
21年8月(株)デジタルステージの顧問就任。
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ネットで出てきる、最も古いニュースは、これだろう。
2009年12月6日(日) 07:30~08:00 TBS
【出演】 加藤浩次 , 進藤晶子 , 奥田民義 , 堀井美香(TBS)
【ゲスト】 大沢あかね , 森永卓郎(獨協大学)
【その他】 一宮亮(バイク王) , 大根優美(三菱UFJニコス) , 山口豪志(クックパド) , 樋口和也(森永乳業) , 徳生裕人(You Tube)
現在の利用者数は800万人で、今年度の売上げは11億円とのこと。
儲かりポイントは、レシピはすべて投稿されたもの、広告収入、有料会員制の3つ。また、企業を相手にレシピコンテストを主催したり、蓄えたデータを販売しているという。
- 目的:インターネット 情報タイプ:URL URL:http://cookpad.com/
- ・がっちりマンデー!! 2009年12月6日(日)07:30~08:00 TBS
その旅の間に、東日本大震災があり、それをきっかけにビジネスモデルを検討して作り上げたのが、このビジネスプランの資料になります。
2011年3月からずっとコネコネして、暖めていた【時間と場所にとらわれない働き方】を作ろうとしていました。
https://www.facebook.com/kamacon/posts/291453227635720/
そして、鎌倉を散々に盛り上げたランサーズ社は、さっさとビットバレーに旅立ちますw
本社移転のお知らせ | ランサーズ株式会社コーポレートサイト (Lancers,Inc.)
このランサーズ時代の私の活躍は、ちょこちょことインタビュー記事があるので、そちらでどうぞw
我ながら、当時はまだ痩せててかっこいいですね(笑)
そして、その頃から、クラウドソーシングの普及啓蒙のため、各地域の今では当たり前になりましたが、地域振興系の地方創生が言われる前にタイミングから、全国でイベントを行っていました。
こういうローカルなメディアへの露出が得られて、地域めぐりは地味に広報効果が抜群でした(当然、体力的には、めちゃくちゃ大変だったけどw)
https://www.hamakei.com/headline/8518/
また、クラウドファンディングも何度か活用して、書籍出版やイベントを成功させました。
非常に充実したサラリーマン生活を送らせていただきました。
2014年10月末で、独立してサンフランシスコに遊びに行った時に寄稿記事も。
いよいよ、私が30歳となり、独立をすることになるのである。その決意表明がこのanother Lifeの記事である。
2015年からは、横浜のクローバルステーションというコワーキングスペースの運営を、尊敬する原丈人さんのデフタキャピタル社のメンバーとして、立ち上げからスペース運用までは実行しました。
この横浜グローバルステーションは、地元のTV局での特集も組まれるほどには、話題になった。
今は、もう稼働してないが、2017年の前半まではこの場所も活発にイベントを実施していた。
そんなこんなの最中に、2015年5月1日に株式会社54という、個人会社を創業し、ベンチャー支援や投資を中心に行う法人として活動の幅を広げていった。
独立してからはかなりアクティブに寄稿をしたり、記事執筆をさせていただいた。
記事を書くのが楽しかったし、会社所属ではないため、好きなことが言えて、好きなことができて、本当に日々が充実していた。
2015年6月1日には、クックパッドの創業者の佐野さん、そして、我が師である原丈人さんを含む、超豪華な起業家が一堂に介する大型イベントを開催できた!
この辺りから、個人での情報発信とメディア露出が加速度的に増えて、交友関係が一気に拡大していったのである。
2016-17年には、ランサーズ時代にやり切れなかった、全国行脚の起業家向けのプログラムを株式会社54が主催となり、弥生社、アメックス社、Zoho Japan社、マイクロソフト社等々のスポンサーをいただいて実行した。
この全国行脚のプロジェクトもキャッシュがかなり使ってしまい、それはそれ、大変だった・・・。
もちろん、わかってはいたが、思った以上に、物理的に大変で体力を削られてへとへとになったのだった。
その間に、コツコツ2年ほど書けて、ベンチャー企業の成長段階を細かく説明して、ベンチャーに勤務する社員向けの書籍を発刊させていただいた。
2017年8月から、株式会社プロトスターに共同代表として参画する。
チームとしてベンチャー支援をするべく、かなり活発に稼働することとなる。
参画時のニュースはこちら。
プロトスターとしては、三井不動産との連携を進めて、一緒に日本橋を起業家の街にするべく、活動をはじめた。
こういう大企業との連携は元々のネットワークもありつつ、得意な領域なので、BtoBセールスに注力していくこととなる。
2018年には念願だった海外事業の足がかりとして、プロトスター社の香港オフィスを開設し、海外進出事業を本格化するのである。
この頃までに、本当に勢いがあって、取り組むさまざまなプロジェクトが楽しくて仕方がなかった。
勢い、自叙伝までも発行するというノリノリっぷりだった。
この『逆境のビジネス略歴①』は、21~35歳までのビジネスでのアレコレを綴った書籍になっている。
0to100会社を育てる戦略地図のもとになった知見、経験の話が盛り込まれている。
『逆境のビジネス略歴~山口豪志編⓪~』|感想・レビュー - 読書メーター
こんな丸ごと自己開示をしている人はそうそういないだろうと思うが、それそれで本当は顔から火が出るほど恥ずかしい。。。
コメントをくれた友人や家族のインタビュー動画もある。
日テレの番組にてコメンテータとして、高頻度でお話をさせていただいたりもしていた。
そして、2019年3月には、長崎県壱岐市という離島に引っ越して暮らし始めた。
香港での事業の開始も含めて、非常にアクティブに動くタイミングで、ある意味では調子に乗りまくっていた。
2019年6月までは比較的アクティブに動き回っていた。
上記Cnetの記事にあったJumpStart Magazineも編集に凝って、さまざまな方のご協力のもとに出版、発行ができたのだった。
表紙のボーダレスの田口さんのインタビューはじめ、めちゃくちゃ気合が入った内容で出来上がった。
これが実際に発刊されたJumpStart Japanの紙面である。
物凄く想いを込めて作った力作だった。
Jumpstart Japan Issue 1: Born to Change by Jumpstart Magazine: The Entrepreneur's Magazine - Issuu
また、クックパッド時代から大変お世話になっていたアサヒビールのご担当者とも、7−8年ぶりにお仕事をご一緒させていただき、ウィスキーのアーリータイムズをベンチャー企業のオフィスに数百件以上を配架させていただいて大きな反響を得た。
2019年の秋には、プロトスター社の経営を離れて、壱岐島と東京とを行ったり来たりすることとなる。
このタイミングに取材を受けて面での取材対応をした最後の記事がおそらく、冒頭にも出てきたファインダーズのインタビューである。
その後の2019年10月以降から2021年3月くらいまでは精神的に死んでる期間の露出もあるが、本当にキレが悪くて、今思えば申し訳なかったなと思う。。。
キレ悪い時の記事集:
2019年10月からのハードシングスの直前に、想いのたけを語った内容がこちら。
今も、この想いを持ち続け、更に進化させています。
ここで語っている内容自体は、現在も齟齬はなく、あくまで同じ方向を向いて推進しています。
今日も今日で人生の貴重な一分一秒を大事にして、しっかりと生きたいと思う。
最近公開されたインタビュー記事は、こちら。(2021年11月17日(水)公開)
さぁ、ここからまたドンドンと色んなことを積み上げて、伝説になってやるぞ!となw
I'll be the Legend. Why don't you be ?
あ、タイムリーに情報をキャッチできるようにオンラインサロン[The First Angel Investor]もはじめました!
よかったら、エントリーください!
チャオ!
追記:2023年5月
さらに、さらにいろんなことがあり、独身になり、沖縄と東京の2拠点生活となり、
沖縄では昆虫アートを展示する7564museumをつくるべく、あれこれと動きつつ、
東京ではアート・ビジネス・サイエンスの著名人を取材して100年後に遺すという
雑誌【THE RACE】の取材編集、営業等をやっている。
Amazonで創刊号も読めますので良かったらぜひ!
もちろん、仕事として複数社のベンチャーの経営や支援も同時に行なっているが、
なんだかんだ楽しく暮らせていてありがたい限りである。
次なる自分の活動は何になるのか、
まだまだ、これから未知数なので、日々よく生きていきたい。
出来るヤツの正体
ハロー沖縄!
私はつくづく島が好きですね、海と空と山とね!
サイコーだぜ!
さて、【仕事が出来る人】=【出来るヤツ!】を言語化してみたいと思う。
2006年から、日本国のベンチャー業界に生息させていただき、すでに15年も経った化石種的な私からすると、過去にものすごい仕事が出来るヤツと何人かは会ってきた。
その方々は、本当に凄腕で、惚れ惚れするくらい、仕事が出来る!その仕事ぶりときたら、、、快い・・・本当に一緒に仕事してて気持ちいいのだ。
さぁ、振り返ってみよう。
私が、最初にコイツは出来るヤツだなぁと思ったのは、2009年に初めて会った。
もちろん、当時ご一緒していたクックパッドマフィアの皆さんは、それぞれに物凄い実力者の猛者揃いであって、2006年から2009年の上場前の期間に1年以上クックパッドに在籍された方々は、皆さん飛び抜けて優秀な方々だった。(そういうのって、退職した後でしか気づけないのが残念だよね・・・)
だが、その中において圧倒的な綺羅星の如く、とんでもない傑物が一人だけいた。
【石田忠司】その人だ。
彼こそは、同じ歳でありながら、私自身がコイツには敵わないな・・・と思うレベルのイケメンな同学年の傑物だ。
彼は、成毛眞さんという、日本マイクロソフトの2代目社長を務められた方の作った和製コンサル会社【インスパイア】からクックパッドに2社目として転職してきた。
当時、25-26歳だったと思うが、私は完全に営業叩き上げで、ロジックとか論理的思考というよりも、営業センスとフットワークの軽さで圧倒的な営業成績を叩き出していた。
一方の石田くんは、転職してきて社長室という配属で、新しいサービスを作るという役割をおっていた。
ただ、ひょんなことから、二人でタッグを組んで冷凍食品メーカーを攻めようということになった。
彼は、経営企画的な役目で、業界分析を行い、こういうアプローチと口説き方で、こういう会社に営業かけたら案件取れるんじゃね?という企画を考えてくる。
私はそれに対峙して、顧客企業の代弁をしつつ、実際に営業にいくという役割分担だった。
私は当時、若さの勢いと社内実績を提げて、相当に調子に乗っていたこともあり、多少の年齢差(10歳程度)は関係なしで、社内で言いたいことを言い、やりたいことをやるという、本当に粗暴なキャラだった。(末っ子キャラという体の良い表現で生きてたw)
石田くんは、同じ歳で東大卒のイケメン、高身長ということで、目を引く存在だった。
最初は、こいつどんだけだよ?と思っていたが、彼の会話のテンポと頭の回転の速さは本当に素晴らしく、仕事もやりやすかった。
上記のタッグを組んだ企画も大成功で、冷凍食品メーカーを数社、実際に500万円程度の案件として獲得することができた。
そこからは、プライベートで合コンをしたり、飲み会に行ったり、車で旅行に行ったりと、本当に楽しい友人となって過ごした。
クックパッド社を辞めたときに、石田くんと離れることは本当に残念だったが、当時の私は本当に火の玉みたいなヤツだったので、そのまま、南極まで飛んでいってしまった(笑)
さて、その後、海外旅から帰ってきて、そのときに考えたクラウドソーシングの事業モデルを鎌倉の秋好兄弟と一緒になって奮闘して、私はそれはそれで次なる実績を積み上げていった。
その時に出会った優秀なメンバーは、ランサーズにもたくさんいた。
大川くん、小口くん、酒井さん、もちろん、秋好兄も、仕事が出来て、素晴らしかった。
ちなみに、クックパッド、ランサーズと両社で一緒に働いてくださった菅沼さん(弁護士兼公認会計士)という、とんでもない人もいるが、彼は、別カテゴリの偉人だ。
今は、ベンチャー向けの弁護士事務所、リンクパートナーズというチームを率いておられる。
ただ、ランサーズでは残念ながら、石田くんクラスの傑物には出会えなかった。(そもそもそんなすごい奴はそういないw)
さて、その後、私はランサーズを辞めて、独り立ちして、原丈人さんのお手伝いをさせていただいていた時期がある。
2014年10月以降からの2年ほどだったが、そのときに、また、どんでもない凄腕に出会う。
【山中哲男】というヤバい男だ。
彼のキャリアや実績は、どっかでググってもらったら良いが、年齢的には、一つ上での1982年生まれの、兵庫県加古川市出身の彼は、本当にリアルビジネスの天才だ。
彼の手がける企業のマーケティングセンスと、周りの関係者の調整能力は、過去あった誰よりも圧倒的なスムーズさで推進する。
ビジネスマンとしての極みの息に達しているなと感心するほどだ。
特にやばかった取り組みは、2015年5月、山中さんと出会って、まだ、1ヶ月たつかどうか。
そもそもの出会いも、原丈人さんが主催する、淡路島での大きなイベントで、『君たちは歳も近いし、仲良くなれるだろ?!』という意味わからない紹介がきっかけだった。確か、2015年3月とかだったかな。
その会で初対面だった山中さんと、都内の四谷のパン屋さんのカフェで、どうも初めまして・・・とお茶をして、、、
その年の4月だったかに、私は友人の挙式があって、ハワイに家族で旅に行ってたら、日本の山中さんから突然電話がきて、原丈人さんをともに、公益資本主義のイベントを渋谷公会堂を借りて5月にやろう!というのである。確か、開催日時まで1ヶ月切ってる状況で、いきなりそんな誘いをしてくる山中さんに対して、私も単純に面白いじゃんwとなって、二人でイベントをやることとなった。
後々に伝説となる、2015年5月の渋谷公会堂での公益資本主義イベントはこうやって開催された(大笑)
山中さんとその後の私は、本当に色々と仕掛けたので、二人の名前でググってもらったらたくさんの仕掛けが出てくる。
この石田くんと山中さんの2人は、とにかく仕事出来過ぎの出来杉くんである。
何がそれほどまでにすごいのか、すごいやつのポイントはココだ。
- ①常にレスが早い
- ②結論ファースト
- ③依頼したこと、されたことをすぐに対応する(データだし)
- ④細かく確認し、すぐに修正できる
- ⑤会話がちゃんと伝わっているか丁寧に確認し進行できる
- ⑥普段の雑談や会話がウィットに富んでいて楽しい
- ⑦笑顔が素敵、イケメン、モテる、カッコいい(私が大好き)
- ⑧周りから信頼されている、愛されている(私も愛してる)
ちなみに、今、私とIY Holdings株式会社を経営している、櫻木くんも素晴らしく優秀である。
私が仕事できるのは、こういう凄腕たちとの刺激の交換があり、また、自分自身を高める努力を日々しているからである。
仕事は真剣に取り組むと、とっても楽しい!
最高の趣味だ。
できるヤツと仕事をして、あなた自身も仕事ができる、そして、人に愛される人になって欲しいと勝手ながら思う。
では、そろそろ沖縄に着くので・・・チャオ!
黒字化する結婚式の創り方
結婚式とは、そもそも誰のためのものだろう。
・成人するまで育ててくれた両親や家族のため?
・結婚する相手方の家族親戚への顔見せのため?
・家同士の結びつきのため?
・結婚式場などの業界関係者のため?
・結婚という通過儀礼を行うことでの結婚する当事者同士の認識を変えるため?
さまざまな観点とビジネスが絡み合っているため、この全てが誤りであり、全てが合っているとも言える。
さぁ、改めて問う。
そもそも結婚式とはなんだったのか?
結婚式とは?
洋の東西を問わず、また、日本においても古くから挙式は行われていた。
にも、かかわらず、だ!
昨今、結婚式は開かれないというではないか!
これいかに?!
新婚夫婦の6割が式挙げず コロナ影響、明治安田生命調査(共同通信)
ニュースによると、6割が挙式をせずに結婚する時代というのだ。
正直に言って私には理解できない。
なぜかというと、私は、人生の良い思い出として結婚式を実施し、その結果として50-100万円程度の利益をあげて、新居の家具家電を充実させることができた実績があるからだ。
では、そのための手引きをみなさんと共有するにあたって、そもそもの結婚式にまつわるお金の話を整理しておきたい。
あなたがもし、お金持ちになりたい!
1億円以上の資産をつくり、子供を有名私立に通わせ、医者や弁護士などの社会的な役割に就かせたい!
・・・と思うのであれば、以下の3つしか、今の日本国ではお金持ちに成る方法はないのではないだろうか?
①玉の輿に乗る(逆玉も可)
②事業を興して成功させる
③新規上場などの株式に絡んで財産をつくる
このご時世、年収が数千万円の金融マンと結婚しても、その人のその会社がサステーナブルかは分かりません。そして、その年収は維持でないでしょう。
また、お金は稼いでも累進課税でお陰様で、納税額が増える一方ですからね。。。
もちろん、仮想通貨やらアートやらのそこそこドキドキするリスク橋を渡ってお金持ちになる方法やら反社会的な活動に身をやつす方法もあるだろう。
いろんな人生と価値観があるので私は否定しないのだが、正攻法でお金持ちの仲間入りするには上記の3つしか方法はないと私は思っている。
さて、結婚は、その為の1つの玉の輿に乗るチャンスではある。
私もなんやかんやで逆玉に乗った口でもあるので、オススメはしておきたい笑
余談が伸びてしまったので、本題に戻す。
さて、では、3つのことを押さえれば、必ず黒字化する結婚式が出来るという秘蔵っ子のレシピはコレだ!
- ①収支のバランスを確認せよ!
- ②単価の高い人を呼べ!
- ③値段の無い物を贈れ!
さぁ、一つ一つ解説をしよう。
①収支のバランスを確認せよ!
ビジネスもそうだし、結婚式というイベントにおいても収入と支出のバランスを欠いてはろくなことにならないw (その借金を背負った結婚式の想い出って、本当に良い想い出ですか?って聞きたいw)
個人的にツボったのが、某知り合いが結婚式で1000万円超も使って、結婚式での収益が200万円で800万円分の赤字を被ったあげくに、1年半で離婚したという話を聞いた。
でも、その話を聞いて、『そりゃそうだろw』と思ったものだ。
そんな夫婦に、子育てをして家庭を育む能力も未来もないだろうw
年収が400-500万円程度の20-30代のサラリーマンがたかだかの結婚式の1-2日程度で800万円の借金など、アホ以外無いw
そりゃ、より現実感がある方から離婚を切り出すのが正しいだろう、そんな夫婦に平穏な老後はあり得ないからねw
はい、他人をdisるのはコレくらいにして、解説を進める。
そもそも結婚式において、何に金がかかるのか、それが問題だ。
・会場代
・挙式費用
・衣装代
・お料理
・引き出物
・郵送物
・印刷物
ざざっと書くと、まぁ、こんなもんだろう。
それぞれの費用感としても、
・会場代
10-300万円(もっと高いところはいくらでもあるだろう)
・挙式費用
(3-50万円?私はクリスチャンで某日本で1番のところで挙式したが確か3万円とかそんなもんだった)
・衣装代
(20-100万円とか?)
・お料理
(1-3万円×参加者数)
・引き出物
(0.2-1万円×参加者数)
・郵送物
(500-1000円×参加者数)
・印刷物
(2000円×参加者数)
まあ、こんなもんだろう。
めちゃくちゃケチれば、20-100万円もあれば十分結婚式なんかできることがわかる。
支出がそんなもんであると分かれば、事業作りと一緒でコレを上回る売上を作れば良いのだ。
収入と支出のバランスが壊れてたら、そりゃ破綻するぜ?オタクの家族計画はね!っていう感じですかね。w
※私の場合は、
・会場代 200万円前後
東京のホテルなら ホテルニューオータニ(東京)| 【公式サイト】
・挙式費用 3万円前後?
・衣装代 無料というか実費?数万円??
嫁さんの衣装はお母さんが裁縫してご用意してくださった!
私は、普通にコナカで買った普通の3ピーススーツ(笑)
・お料理 多分、それなり!
(2万円×参加者数)とかにしたはず。
・引き出物
これは、③にてw
・郵送物 完全無料!
全部、案内状は、PDFでのメール送付。
そして、facebookグループでの連絡案内を実行した(笑)
・印刷物 100円×参加者数
ここで必要なのが席次表と席票くらいだと思う。
私は、席次票をイラストレーターの妻に全て用意をしてもらい、また、席票も自分で印刷してメッセージを書き込んで席に設置させてもらった。
私の結婚式の支出は、おそらく、総額で300万円くらい?はかけたのかな、多分。
②単価の高い人を呼べ!
一般的な結婚式という前提でここは書きたい。
なにせ、沖縄?とか北海道?とかは、ローカルルールがあり、会費制とかいう、誰がきても一律1.5万円の飲み会みたいな挙式もあるらしく、それは今回は外してもらいたい。
比較的一般的な挙式というもので、会社の関係者から学校時代の同級生やらが集まって、わいわいと飲んだり食べたりする会を想定してる。
その際に参列する方は社会的な立場(有名企業の経営者、来賓席、地元の名士など)や挙式を挙げる方との関係(所属する組織の代表、役員、上司など)によってやはり包むお祝いの金額も変わる。
そういう意味では、誰も呼ぶかは収入に直結する大変重要な選択なのである。
ここで、最近の若者は、『あー、自分たちの結婚式なんだから友達たちとやりたいよー!』
『会社の関係者とか社長、上司なんて嫌だー』
なんてことを聞くが、そんな奴は馬鹿野郎!である。
彼らはこういう晴れの場において、親御さんの目にも触れ、改めて責任感をもたさせる場になるし、無碍にクビに出来ない関係になるのだ。
あ、だって親御さんにも結婚式で会ってるしね、と。
人間はロボットやAIとは違うくて、感情の生き物だ。
そういう人間としての特徴として、やはり、そういう親の顔を見てる、家族の顔、奥さんの顔を知ってるというのは、親近感がわくものだ。
クビにしなきゃいけない状況でも、家族の顔が浮かぶような社員とそうじゃない社員ならば、やはり、ね。
あなたならどっちを残したいと思うかは分かりやすいのではないだろうか?
話を戻そう。
要は、社長は、10万円くらい、上司も5万円くらい、親戚のおじさんは7万円くらいは包んでくれるだろう。
取引先の社長さんなんかも、5-7万円くらいは包んでくれるんじゃないだろうか?
ちなみに私の場合は、クックパッドの創業者の佐野さんはじめ、旧役員陣の面々と同僚たち、ランサーズの秋好代表はじめ、社員を10名程度。
また、当時のランサーズの取引先の面々、今では上場企業となったBASE社の鶴岡社長(当時は学生だった?)とか、投資先の起業家の方々、ベンチャー業界の有名人も多数参列をいただいて、社長の肩書きだけでも30人以上、役員クラスで参加者の半分はいたのではないだろうか。
※ちなみに、地元の岡山からの参列してくれた友人や遠方から来てくださってる方には、ちゃんとした費用分のお足代、お車代などは出しましたよ!
なんなら宿泊代とか交通費とかも丸ごと持ったりしています。そういう事にお金を惜しんではいけませんよ!大事な人間関係が壊れてしまいますので。
③値段の無い物を贈れ!
これは、上記の贈り物、引き出物というところであった項目である。
最もここが重要です!
なにせ、参加者全員に対して、ものを配れる、直接に渡せるチャンスですよ!!
こんな最高のディストリビュートできるタイミングってそうそうない!
私の場合は、参列者を結局150人とかにしたので、150人の方々に一気にものを出せるチャンスなんですよ!
これはね、使わない手はない!
もう結構な前の話なので、正確には覚えてないのですが、私の引き出物は、確か3000円以内とかだった気がします。
そして、送ったアイテムは、3つとかだったような。
まずは、1つ目!
会社の書籍w
実は、この本の裏話をすると、私がゴーストライティングしてる本なのですw
書籍の内容を全て口頭筆記にて、しゃべった内容を書籍を作っていただきました!ビジネス社の皆さんには大変お世話になりました(感謝)
代表の秋好氏の名前で発売して、さらには書店イベントも複数箇所仕込んで大いにクラウドソーシング業界を盛り上げました(笑)
年収300万円台のアラサーのキレもの社員(当時の私)のような人材は即採用するものですよ、経営者のみなさん!
これも、取引先の経営者の方々やクックパッドOBOGの業界のスーパースターの方々へ書籍を通じて、ランサーズを応援してもらいたいという想いの一心でこれを引き出物にしました(笑)
お金的な話で言うと、出版社から2割程度安く書籍は仕入れられるので、みなさんが書店で買うよりも、安く仕入れられます。
このケースは、1500円くらいの1冊の書籍代を、1200円程度で仕入れて提供できたイメージですね。
そして、2つ目!
銀装のカステラ!(超絶美味)
友人がこちらの経営者であり、そして、何よりうまい!
この銀装のカステラに、妻がイラストレーターであるため、完全にオリジナルかつ、値段がわからないもの(特注なのと個数によってはディスカウントも効く?)ので、まさにうってつけです。世界でも、この場に参加した方しか見れない、食べれない美味しいカステラなのですからね!
あと、何か他にも入れてたような気もしますが、実質、3000円程度の引き出物だったかと思います。
このようにして、収支のバランスをとることによって、着実に黒字化は可能ですし、そのお金を新居や新しい生活のアイテムの購入代に充てることができます。
さぁ、もう一度、聞きますね?
結婚式をしない理由は、ありますか?
一番最後に、私の黒字化した結婚式の様子も公開しておきますね。
コレで、黒字っす!
こういう結婚式の動画は、めちゃくちゃ良いので、この堀井イクマさんに動画をお願いすると良いですよ!
DMは、コレかな? ikumahorii@gmail.com
では、チャオ!
2018年12月から2021年11月までの『逆境のビジネス略歴』を語ろう。 ③人は何故、生きて死んでいくのだろうか? Born to Die.
前回から続く内容のため、簡単に書く。
本編は、関係者の影響範囲がベンチャー業界において大きいため、個人のオンラインサロン上での限定公開としています。
そのため、そちらの会員登録を実施いただいた上で、ご覧くださいませ。
さて、本件は前段で語った通り、以下のような事象が重なったことから、私自身の心身のバランスを崩してしまい、結果としてうつ病的な状況になって貴重な人生のトキを約2年間も棒に振ってしまったのだった。今にして思えば、それすらも貴重な体験だったと思えるのだが、本当にウサギとして時間を大切に生きてきた自分からすると、本当に信じられないほどの時間の浪費っぷりだった。
ただただ、笑うしかない(苦笑)
・イベントはトラブルが憑き物
・人生初めての銀行からの個人保証借入
・法人のキャッシュフローの悪化
・香港民主化暴動
・共同創業したベンチャー支援企業の解雇
・個人のキャッシュフローの死
・心にアクが溜まる生活、仲間に嘘つく日々
・ココロの病が発症する
・家族やまわりの人達の離反
・人生の終わりに。
是非とも、皆さんに読んでいただきたい(苦笑)
これほど、濃い起業家のハードシングスを他で見ることは、まずないだろう(大笑)
では、チャオ!
齢三十七にして天命を知る。
齢37歳にして、いよいよ、天命を悟ったのかもしれません。
まんざら当たらずも遠からず、という感じで今は思っていますが、さて、どうやら(笑)
ただ、昨日みた作品は作り手の名匠とともに圧倒的に凄すぎる存在としてそこにおられ、彼らが生み出した自信作の展示品に見惚れて激しい刺激を受けたというのが私の正直な感想です。
ホンモノは、いつの世も圧倒的な力を帯びています。
そして、そのホンモノは創られてから100年経とうと、また、1000年経とうとも、全く色褪せることなく、また、その素晴らしい作品を生み出した作者の技と想いとを後世を生きる人へ見せて伝えることができます。
私は、ベンチャー企業を支援するというライフワークを行っています。
起業家が、どういう想いでベンチャーを生み出したのか、その志に共に震えて応援をさせてもらい、彼らのサービスを世に広めたいと思う。
その根底には、常に、この書籍にある言葉『【後世の最大遺物】を創っていけてるのか?』という問いが、私を支えています。
すでに、没後90年を越える偉人であり、彼の講演録である内村鑑三 後世への最大遺物(1897)は、発表されて既に100年をゆうにこえる名著です。
この書籍の一節にある、言葉はあまりに有名であり、私はこれを読んで当時涙したのを覚えています。
「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
この逸話を読んだ私の心に一番最初に浮かんできたイメージは、死んだ父のことでした。
父との想い出は、本当に多くある。
私は父が好きでしたし、父も私を可愛がってくれていたと思う。その父が私以外の方々と共有した彼の人生の時間も、相当に濃い実りあるものだったのだろう。
父のエッセイがそれを物語ってるように思うし、父の残した科学の足跡の数々は彼の生きた時を肯定するものだと思っている。
さて、話が横道に逸れてしまった。
最近、閃いた私なりの人類の分類方法があります。
それはそれぞれの特徴に応じて、人類を三種類に分けることができる、というものです。
本説は、まだ仮説の域を出ないのですが、我ながら非常に趣に富んだ考え方だなと自画自賛の状態ですので、ご笑覧いただき、是非とも感想なり反論なりのご意見を頂戴したいです。
では、この論説を説明する背景情報を共有させていただき、進めたいきたいと思います。
学生時代の私の人生の目的は、【人類を科学の力で進歩させる】でした。
それは昆虫の分類学という、基礎的な科学の発展を自らの手で進めることで、人類に貢献したいということでした。(科学者)
ただ、21歳の時の父の死や私自身の考え方の変遷により、やりたいことを【昆虫博士になりたい人を応援/支援する】に変化させました。
それはつまり、自分が科学者になり研究に没頭する生き方をするのではなく、ビジネス環境や一般社会の中で生きて(一般人として)、そこでの知見や得た富を科学の発展に投じていこうということにしたのです。
そして、そのビジネスをやっていく道すがらで、ヒョンなことから出会った芸術家との出会いがまた私の考えを変えていきました。
芸術家という生き方をする方々は、作品制作の過程における多くの時間を一人きりで行い、その間の一切の孤独を受け入れ、自分の頭と心の中に浮かんだイメージを絵や造形物、音や詩などに載せて、まわりの他の人に多くの場合は言葉以外の伝達方法で伝える人たちなのです。
さて、少しここでまとめると、以下三種の人物が登場しましたね。
・科学者
・一般人
・芸術家
ざざっと登場人物を整理してみましたが、私自身の人生の歩みの過程によって、3つの人の分類があることに気づいたのです。
つまり、我々人類を強引に3つに分類すると、
- 【①科学者】 0.03%程度の、天才科学者とそれに類する人たち
- 【②芸術家】 3%程度の、芸術家、アーティストたち
- 【③一般人】 残り97%の、私を含む一般の凡人たち
ということになります。
この3種の人たちはそれぞれに生きる価値と人類への異なる貢献の仕方があると私は思っている。
ちょっとだけ、野暮な説明になってしまうのですが、①と②の方々は、③の存在が無ければ、成立しません。
なぜなら、①の人たちを支えるのは③の多くの人類の生み出した生産物(エネルギー、食品、生活インフラ等)によって生活が出来ており、③無くして①と②は成立しません。
そして、一方の③の我々は、①と②の存在が無ければ、人類種としての進化・進歩がなく目の前の社会問題や環境問題においてなす術もなく滅んで行くか弱い存在でしかない。
更にいうと、①と②もそれぞれが相互に刺激し合う関係である。①の進歩によって手法や技術を変えて②は工夫を凝らす。②のアイデアや視点により①もまた科学を新しく進化させることとなる。
この三者の関係は地球上の生物種における生態系と同じように、①も②も③も絶対に人類の存続と発展に不可欠な存在なのである。
そういう意味では、3つの分類された人類全てが生きる役割が異なって存在しているというか、天命がそれぞれにあるのだと思う。
それぞれにおいて人生の使い方がそれぞれにあるんじゃないかなと思っている。
さて、話が壮大になってきてしまった。
そろそろまとめに入りたい。
私が好きな【“働く”という言葉の語源に関する逸話】がある。
それは、孫泰蔵氏が話しておられたもので、大変納得感のあるものであり、私の仕事観に大きく影響した話だったので、ここで是非とも共有したい。
江戸時代、平和な日本国では、多くの町人は日々の生活において、さまざまな仕事に従事していた。
彼らは、『そんなことは朝飯前だぜ』などということを言いながら、日々の仕事をしていようだ。
彼らにとって【働く】という言葉は、【側(はた)を楽(らく)にする=側楽(はたらく)】という意味だったというのである。
この側(はた)とは、身のまわりの人たちのことを意味している。
つまり、【働くこと】とは、まわりの人が暮らしやすく、もっというと生き易くするために、【はたらく】のである。
この話を聞いたときに私の腹にこの逸話はストンと落ち、身体に沁み込んだ。
なぜなら、120%の共感があったからだ。
そもそも私自身は、自分のためには一切頑張れない人間だからだ。
自分の欲のため、名誉のため、お金のためなんかに、全然頑張れない。一生懸命になれない。
いつも、他人のことを、身の回りの人のことが動機付けになる。
そうでないと、楽しくないし、ヤリガイを感じない。やる気が出ないのだ。
コレってみんなが持っている感情なのではないだろうか?
人類という種族は、他者貢献をする事がプログラミングされた生き物で、他者から受ける感謝や感動による原動力が生きる糧になっている種族なのではないか?と。
私事でいうとまわりの人たちが、『助かったよ!ありがとう!』と言ってくれたり、『山口さんがいてくれて良かった!』と言ってくれたらとても嬉しい気持ちになるし、生きててよかったなぁと実感する。
人によっては、そんな他者評価にいちいち影響をうけるのは『大人じゃない!』とお叱りを受けるかもしれません。
一方で『そんなのは大人じゃない!』とお叱りを受けたとしても、私は大真面目に“自分自身は既に大人である”という自負があります。
その反論にお答えするためにも、前提として私の思う【大人】の定義を共有しておきたい。
私にとって大人とは、『自分自身の特性を理解し、自分を取り扱える人物』のことだからだ。
私は逆境のビジネス略歴の日々を通じて、確実に自分自身のことを一つ一つ理解してきた。
時に死ぬ思いをしながらも、自分自身が何が好きで、どういう状態が嫌いかを一つ一つ不器用に学びながら人生を歩んできたから、そう思えています。
・・・
福岡への出張の飛行機内で書いているからか、話があちこちに逸れてしまってますね、、、
この文章を書く当初の目的は今日2021年11月6日に東京の六本木ヒルズで開催されているアートイベントにぜひ足を運んでいただきたい!ということでかきはじめたのだが。
今日このイベントの場にて、とんでもない生ける伝説の名匠の日本人たちとその作品に出会えることだろう。
その方々の生き様を見て、感じて、どのような想いを持たれるのか、とても楽しみである。
最後に一言。
今まで生きてきて私自身の天命は、
【全ての人がハタラク事を楽しんで生きて死んで行ける人類社会】を創ること、だ。
その為には、自分の持ち場でシッカリと付加価値をうみだして、利益を得る。
その利益から生み出される新規投資予算と報酬をもとに、
科学者には寄付を、
芸術家には作品購買を、
起業家にはエンジェル投資と事業支援を、
適宜おこなっていきたい。
それによって結果として全ての人が幸せを感じられるハタラク人類社会を私は創っていきたいと思います。
チャオ!
2018年12月から2021年11月までの『逆境のビジネス略歴』を語ろう。 ②嵐が吹き荒れて、その雨風はやがて大河になった
前回までは、調子に乗っていた2018年の話をしました。
この嵐は、最初は小波なんじゃないかと思っていた、大体、そんなものだろう。
最初は全然、その事態の影響範囲なんて、見積もれないものなのだ。
38年生きてきて、最悪の嵐が、まさに起ころうとしているとは、当時の私は全く思っていなかった。タイムマシンが発明されたとしても、この頃の自分に何か伝えられたらと思うが、結局、何を伝えても何も伝わらないだろう。それほどに当時はその深刻さを分かっていなかった。
話を戻そう。
2019年2月に、最初の試練が起こる。
ベンチャー界隈ではとても有名で、大企業がスポンサードしている某イベント運営会社と当時、共同代表として任をおっていたベンチャー企業とのトラブルである。
関連する記事はこのあたりに当時書いている。
そして、ここで大変申し訳ないが、一旦筆を置くことにする。
と言うのも、これ以上の本件含めたやりとりや背景の詳細については、あまりにもベンチャー業界の方々に影響が大きく、また、ベンチャー界隈の方にしか伝わりにくい内容と特殊情報になるため、これ以上の情報公開は関係者からSNS等でDMでの陳情依頼を受けて私なりの判断もした上で、一般公開は辞めることとしました。
と言うのも、私の言動や発言が、誰かの不利益になってしまうことは意図していることではなく、ここからの先の私がダークサイドに落ちていく話は、私の個人でやっているオンラインサロンにて、継続してお伝えしたい。
おい!と思った方は、無料で開催されてるオンラインイベント等では、個別質問において関連の発言をする可能性はあるので、そういう機会にたずねていただきたい。
直近では、こういうイベントに登壇予定がある。(ご参考までに)
(11/25木曜 開催)スタートアップを成長させる エンジェル投資とは -The First Angel Investor- 山口氏に聞く
この後日談としては、この辺りを語ろうと思います。
・イベントはトラブルが憑き物
・人生初めての銀行からの個人保証借入
・法人のキャッシュフローの悪化
・香港民主化暴動
・共同創業したベンチャー支援企業の解雇
・個人のキャッシュフローの死
・心にアクが溜まる生活、仲間に嘘つく日々
・ココロの病が発症する
・家族やまわりの人達の離反
・人生の終わりに。
おっと、誰かが来たようだ・・・・
チャオ!
2018年12月から2021年11月までの『逆境のビジネス略歴』を語ろう。 ①2018年から嵐前夜
今は、とっても話したいことがたくさんある。
もう2年間も自分の殻に閉じこもっていたからだ。
その間は、Netflixがお友達であり、コンテンツ地獄というか、ずっと夜通し見てたような気がする。(マジで全然寝れない、寝れないからw)
一分一秒を惜しんで生きてきた、35年分の“ウサギ”生活が嘘のように、“カメ”どころか、仮死状態な日々だったように思う。
さてと、あまりにSNS上の方々から、仄暗い話を聞きたい、人の不幸は蜜の味だということで、私の逆境のビジネス略歴の続きを語っていこうと思う。
それ以前の、21歳から35歳までの『逆境のビジネス略歴1』は、こちらから。
ちなみに、
さらにさらにその前の、0歳から20歳までの『逆境のビジネス略歴0』は、こちらからw
なお、この話はすごーく長いのと途中で飽きられると悲しいので、何編かに分けさせてもらって、話を進めていきたいと思う。
なお、ここで語る内容の全ては、私が得た情報と私の視点で語られているために、関係者はそれぞれの意見や視点でのコメントがあることだろうと思う。
それはその人たちの言葉で意見をしてもらって一向に構わないし、それはそれぞれが持つ人生のエピソードとして、ぜひとも、個々人が話せば良いと思う。
私の人生の一編を、私は私の自由意志を持って、ここに体験し見てきたことを吐露したいと思う。
さて、あの頃は、非常に調子に乗っていたなと、今思い出すだけでも、顔から火が出るほど恥ずかしい(苦笑)
2018年12月・・・・
そもそも、なぜ、私は香港への居住をトライしようとしていたのかについて、語らねばなるまい。
2013年から、コツコツとエンジェル出資を重ね、投資先のベンチャー企業の方々は着実にIPOに近づいていた。
ある一社は、早くも2018年度中(つまり、2019年3月末まで)に、株式公開を控えているという状態にまで、なっていた。
この朗報は、当然ながら私自身を勇気づけもし、また、直近の様々な金銭的な憂鬱(例えば、自分の生活費等のキャッシュフローや欲しい物があれば何でも買えること、など)をすぐに解決しうることが見えていた。
有頂天とは言わないまでも、天狗にはなっていたように思う。
昔からのベンチャー業界の仲間たちに対して、横柄な態度をとっていたようにも思うし、実際に何人かからは後日『あの頃のお前はホントに感じ悪かったぞ!?』と言われたりもした。
自分でも気付かぬうちに、本当に嫌なやつになってしまっていたなと今は反省しかないが、本当にこの世は我が物と思うような態度で、世界の事柄のすべてがトントン調子に進み、何をやるのも楽しかったし充実していた。
最初の問いに答えよう。
私が香港を目指した1番の理由は、『キャピタルフライト』が目的だった。
日本国では、株式の取引において、利益の2割が分離課税として国に徴収される。
一方で、シンガポールや香港などの地域では、その利益分の2割を徴収されることはなく、利益を100%自分のものにできるのである。
個人でのお金持ちは、そのために居住地を日本国外に移し、確実の個人の資産を形成するような活動をしている。
それ自体は違法ではなく合法であり、よく国家制度、法律を知っている方であれば、当然に取りうる手段なのである。
さらに、日本の特殊事情がそれに重なる。2015年より開始された1億円以上の資産がある人物の海外への居住地の移転は、国外に出るタイミングで40%の課税を課されるのである。
この国家的な法律によるキャピタルフライト封じについては、このフラクタ等の記事が詳しい事情が書いてある。
https://facta.co.jp/article/201508050.html
http://www.kanayamakaikei.com/news-detail.php?id=45
さて、私の場合は、本当に少額でのエンジェル投資を重ねてはいたのだが、株価で見ると数百倍の株価になっているケースもザラにあった。それらが上場をしてしまうと、私自身は海外に住んで暮らすという夢は叶えられなくなる。(納税額が重すぎて・・・)
そのために、私自身は、投資先が上場をする前に出来るだけ速やかに海外への居住地の変更を進めていたのだ。それは奇しくも、日本のベンチャーの海外進出を支援したいという想いと、人生の師である原丈人氏が世界での活躍の場をサンフランシスコやイギリスから香港に移したという事実も大いに関係していた。
2018年の年の瀬は、香港へのビジネス拠点の移動、そして、それに合わせて家族での住居や生活環境の一変を同時進行で進めていた。
多拠点生活
このキーワードは、ランサーズ時代から、私の周りではよくあるキーワードであった。著名な起業家は当然ながら、フリーランスや自由時代の到来を実現し体現する方々は、みな多拠点生活をしているくらいには、多くの方々の新しいライフスタイルとして、それは憧れのキーワードだった。(今の私は、全くそれに順応できないことが身に染みてわかっているので、もう多拠点生活はしたくないと思っているのだが。。。)
東京と香港、どちらも世界を代表する大都市である。
本当に豊かさを体現する街並みと洗練された人々が足早に通り過ぎる眠らない街の摩天楼。
香港と東京、どちらが立派な街かという問い自体がチープなほどに、両方の都市は似ているし、集まる人々も同じような価値観や人生観を持っているように感じていた。
そこで、2018年のゴールデンウィーク時期にたまたま遊びに行った長崎県の国境離島の島、壱岐島に行ったことで私の人生においてこの島とのご縁ができることになった。
壱岐島についての想いは、ここに語っているので、参照されたい。
結論から言うと、私は、家族との暮らしの拠点を長崎県の壱岐島に置くこととした。
そして、仕事場としてのメインを香港、サブとして東京と言う3拠点生活を始めることとして2018年の年末は動き始めていた。
事前の準備も滞りなく進み、2018年12月には無事に、プロトスター社の香港事務所がオープンできた。(と言っても、オフィスは友人の会社へ置かせていただく間借りスタイルで固定費を最小限に抑えつつ、私自身の移住を待つばかりと言う状況になった。)
色々と準備と段取りが進み、キャピタルフライトに耐えうるためにも、資産(現金)をほぼ現物(新進気鋭の若手アーティストの作品、日本らしい美術品)やベンチャー企業の新規投資をすることで、使っていった。
あまりに熱心になりすぎて、家族にお金を借りてまでアート作品を買う始末で、本当に今思うと暴走していたなと反省しかないのだが。(苦笑)
そして、2019年の年始、新しい一年が始まり、新しい生活に備えての準備が順調に走り出していた。
当時の私のアート熱は、2016年ごろにたまたま、ニューヨークで国連とのお仕事をしにいった際に戻ることとなる。
そこで出会ったアーティスト、梶川さんの生き様と作品に心を奪われたことから、私はアーティストの作品を買うことに執着するようになる。
彼は、間違いなく現在生きてるアーティストの中でトップクラスにすごい人だと思うので、是非とも、みなさんも彼の作品をリアルに見てもらいたい。
彼の作品も含めて、それまでに集めたアート作品を個人所蔵品の展示会という形でイベントも行い、個人アート展もクラウドファンディングを行って実行したのも、2019年3月のトピックである。
プライベートの話、そして、2018年以前の話、2019年2月の話までがある程度かけたかと思う。
ここもっと聞きたいというご意見等があれば、こちらのオンラインサロン【The First Angel Investor】にて直接呼びかけていただければ、対応できるので、ぜひお願いしたいです。
そして、ここから目まぐるしい逆境の日々がはじまるのである。
嵐の前の静けさ、とはこのことなのだろう。
自社主催のイベント炎上、香港民主化運動事変、遠隔ビジネスの破綻、コロナによる世界規模のパンデミック、、、、などなど、誰が事前に予想できたろうか。
・・・つづく